「うちの会社、残業が多いのはもう慣れっこでね。36協定も毎年出してるし、まさか問題になるなんて思ってなかったんだよ…」
先日、顧問先の社長からそんな言葉をこぼされました。人手不足は慢性化し、優秀な人材は喉から手が出るほど欲しい。目の前の業務を回すためには、どうしても社員の頑張りに頼らざるを得ない。そんな経営者の方々の切実な声は、私たちが日常的に耳にするものです。
「法律は知っている。でも、現場が回らない中で、どこから手をつければいいのか」「この程度の残業なら、みんな納得してくれているはず…」そう思っていても、いざ労働基準監督署の指導が入ったり、従業員との間で労働時間に関するトラブルが起きたりすれば、これまで築き上げてきた信頼は一瞬で崩れ去ってしまいます。
36協定は、単に「残業を合法化するための書類」ではありません。むしろ、企業の健全な成長を支え、大切な従業員を守るための、いわば経営の羅針盤とも言える重要なツールなのです。
「協定を出せば大丈夫」は、もう通用しない時代
正直なところ、この手の話は「頭では分かっているけれど、何から手を付ければいいか分からない」という声が多く聞かれます。2026年3月現在、時間外労働の上限規制は、もはや大企業・中小企業問わず、すべての会社に適用されています。「まさかウチに限って…」という言葉は、残念ながら通用しません。
36協定は、労働基準法第36条に基づき、会社と従業員の代表者(労働組合または従業員の過半数を代表する者)との間で締結し、労働基準監督署に届け出ることで、法定労働時間を超えて働いてもらうことが可能になる制度です。しかし、重要なのは「協定を結んで届け出たから大丈夫」ではない、ということです。
実務上、ここが落とし穴になりやすいのですが、届け出た協定の内容が、実際の日々の労働実態と乖離しているケースが非常に多いのです。例えば、特別条項を安易に設定し、「緊急事態」の名のもとに恒常的な長時間労働が放置されてしまっては、せっかくの制度も形骸化してしまいます。特別条項を適用できるのは「臨時的な特別な事情」がある場合に限られ、その場合でも、法定の上限規制(年720時間、複数月平均80時間、月100時間未満など)は厳守しなければなりません。この上限を超えてしまうと、協定が無効になるだけでなく、罰則の対象となる可能性もあるのです。
36協定のその先へ:柔軟な働き方と労働時間の再設計
「残業を減らせ」と頭ごなしに言われても、現場は混乱するばかりでしょう。業務量は変わらないのに、時間だけ減らされては、かえって従業員のストレスが増大し、生産性も低下しかねません。
そこで検討すべきなのが、36協定と並行して、労働時間制度そのものの見直しです。例えば、貴社では「変形労働時間制度」を導入していますか? この制度は、一定期間(1ヶ月、1年など)の平均労働時間が法定労働時間の枠内に収まるよう、特定の日や週に法定労働時間を超えて働かせても、時間外労働とならないようにできる制度です。繁忙期と閑散期がはっきりしている業種や、シフト制を導入している企業にとっては、非常に有効な選択肢となり得ます。
しかし、変形労働時間制度も万能ではありません。導入には労使協定の締結や就業規則の変更、そして何よりも従業員への丁寧な説明と理解が不可欠です。制度だけを導入しても、運用が伴わなければ、かえって複雑になり、新たな問題を生み出すことにもなりかねません。現場ではこうした声もよく伺いますが、「制度が複雑でよく分からない」「従業員が納得してくれない」といった理由で導入をためらっている経営者の方も少なくありません。
重要なのは、会社の事業特性や従業員の働き方に合わせて、最も適切な労働時間制度を選択し、それを適切に運用していくことです。単に残業を減らすだけでなく、従業員がより効率的に、そして健康的に働ける環境を整えることが、結果的に企業の生産性向上とリスク回避に繋がります。
経営者が今、取り組むべきこと
では、具体的に何から始めるべきでしょうか。
1. 現状把握の徹底: まずは、自社の従業員が実際にどれくらいの時間働いているのか、タイムカードや勤怠管理システムから正確なデータを把握することです。サービス残業が発生していないか、見過ごされている残業時間はないか、なども注意深く確認しましょう。
2. 労使間のコミュニケーション: 労働時間の問題は、経営者と従業員が共に考えるべき課題です。従業員代表との対話を通じて、現場のリアルな声を聞き、協定の内容や運用の実態について定期的に確認し合うことが重要です。
3. 専門家への相談: 労働基準法は複雑で、解釈や運用には専門的な知識が求められます。特に「変形労働時間制度」のような制度の導入や、36協定の適切な運用については、専門家のアドバイスが不可欠です。
まとめ
36協定は、企業が法を遵守し、従業員を守りながら事業を継続していく上で欠かせない基盤です。しかし、ただ形式的に届け出るだけでなく、その背景にある労働時間の適正化、ひいては企業の働き方そのものを見直すきっかけとして捉えるべきでしょう。
「うちの会社は大丈夫だろう」という根拠のない自信は、いつか大きなリスクとなって跳ね返ってきます。経営者の皆様が事業に集中できるよう、労働時間に関する不安や疑問を解消し、安心して会社を運営できる環境を整えるお手伝いをすることが、私たちの使命です。
こうした複雑な判断が必要な場面や、個別具体的なケースに応じた最適な解決策を模索する時こそ、私たち社会保険労務士が力になります。どうぞお気軽にご相談ください。貴社の現状を丁寧にヒアリングし、実態に即したアドバイスをさせていただきます。
